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原晋監督の嫁原美穂に子供がいないのはなぜ?年収や経歴や青学への道

箱根駅伝を4連覇に導いた青山学院大学陸上競技部の原晋監督の経歴や現在までの道のりをまとめてみたいと思います。

元々は”伝説の営業マン”と言われていた原監督が青学陸上部の監督になったきっかけは何だったのでしょうか?

また、結婚している嫁の原美穂さんとの間に子供がいないのはなにか理由があるのでしょうか?

現在原晋監督は沢山の講演会に呼ばれて講演をしているため、かなり年収が凄そうです。

それでは原晋監督の現在の栄光と過去の挫折についてご紹介いたします。



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原晋監督の学歴や経歴

1967年3月8日

49歳

広島県三原市糸崎町出身

身長 176㎝

体重 81㎏

世羅高校卒業

中京大学卒業

中国電力入社

現在:青山学院大学陸上競技部長距離ブロック監督

原晋監督の経歴や青学監督への道のり

原監督は小さい頃からスポーツが得意で、小学生の時にソフトボールのピッチャーで4番、相撲で主将をしていました。

陸上に目覚めたきっかけは、小学生の時に転んで足を怪我した時にリハビリとしてジョギングを始めたことがきっかけだったとか。

そして中学生から陸上部に所属。

世羅高校では3年生の時に陸上の主将になって全国高校駅伝で2位(準優勝)になりました。

箱根駅伝に縁のない中京大学では、大学3年生の時にインカレ5000mで3位になっています。

大学卒業後は中国電力に入社。

原晋監督が入社した当時、中国電力は陸上競技部創設1年目でした。

原晋さんは陸上部で活躍しますが、27歳の時にケガをして陸上選手を引退してしまいます。

原監督はここで一度挫折しているのです。

学生の頃からスポーツが得意だった原晋監督にとって、かなり辛い出来事だったかと思われます。そこから更に辛い社会人生活がスタートするのですが…



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陸上部引退後、営業所での屈辱から伝説へ

陸上部引退後原監督は、本社でなく、支店よりも下の山口の営業所に配属され、かなりの屈辱を味わっています。

しかしそこで原監督は逆境に打ち勝つべく、バリバリの営業マンになるため頑張り、1つ100万円もする省エネ空調機「エコアイス」を売りまくった結果、社内でトップセールスマンに上り詰めました。

このことから原監督は当時「伝説の営業マン」と言われ、次々と新規事業をたちあげていったそうです。

挫折から這い上がり、伝説の営業マンになるという苦境に負けない精神力がすごいですね。

原晋が青山学院陸上部の監督へ

中国電力でバリバリの営業マンとして働いている最中に、高校の後輩から「青学陸上部監督になってほしい」と声をかけられます。

しかし当時原晋監督は、営業マンとして成功して広島に家を建てたばかりで、安定したサラリーマン生活を取るか、夢見る陸上監督への道へ進むか人生の岐路に差し掛かります。

そこで原晋さんは「青学陸上部監督」への道を快諾したのです!

青学陸上部の状態は悪かった

高校の後輩から「青学陸上部監督になってほしい」と声をかけられて快諾した原晋監督。

しかし、最初から上手くはいきませんでした。

現在でこそ「箱根駅伝4連覇」と話題になっている青学陸上部ですが、当時の青学の陸上の成績は最悪で、練習も真面目に取り組んでいない状態でした。

箱根駅伝への予選突破すらできないぐらいの弱小チームでした。

選手たちはやる気なく、態度も最悪。遅刻もするし練習も真面目にしなかったそうです。

現在の青学陸上部からは想像もできないような状態だったのです。



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原晋監督の青学陸上部目標設定

そんな青学陸上部を立て直すべく、かなり苦労したようですが、原晋監督は

  • 箱根駅伝に3年で出場すること
  • 5年でシード権獲得
  • 10年で優勝

という目標を表示しました。

その後多くの苦労はありましたが

  • 5年目で箱根駅伝出場
  • 7年目でシード権獲得
  • 11年目で優勝

という夢を叶えます。

さらに青学は初優勝後の箱根駅伝でも、2連覇、3連覇、4連覇をなしとげ、現在の「伝説の青学陸上部」を作り上げることに成功したのです!

原晋監督は青学トレーニングの本も出版されています。

多大な功績を残した原晋監督は、近年全国各地から講演会の講師としてひっぱりだこだそうです。

講演会は1回で最低100万円以上はあると思われ、原晋監督の年収は相当な額になると思われます。

以前原晋監督がテレビで「講演会がすごい、沢山声がかかっている」と笑顔で言っていましたので、講演会による収入も相当すごいのでしょう。

ゆとり世代の教育は昔とは方法が違うのですね。

原晋監督は、青学陸上部の活躍により非常に有名になりました。

陸上部の監督業無しで全国各地講演会をしているだけで、恐らく悠々自適な金額を得ることができるかと思われますが、原晋監督は陸上部の監督業が一番と考えているため、現在もなお、ご夫婦で陸上部の寮生活を続けているようです。

そんな陸上部の生活を支えているのが、原晋監督の嫁の原美穂さんなのです。

原晋監督の嫁の原美穂に子供がいないのはなぜ?

原晋監督の嫁は原美穂さんといってサラリーマン時代にご結婚されました。

上記のような成績を成し遂げたのは、嫁の原美穂さんの協力があったからだそうです。

原監督は「規則正しい寮生活」をすることが強さの秘訣の一つであるとしていて、寮生活も規則正しい生活をしているそうです。

寮に原晋監督も一緒に生活をしていて、当時は生徒とご飯も一緒に食べていたそうです。

嫁の原美穂さんは現在は寮母さんとして、陸上部員の食事を作ったり掃除したりして陸上部員の世話をされています。

寮母さんは大変な仕事だと思いますが、やはり想像以上に忙しいようで嫁の原美穂さんも365日休み無し!だそうです。原監督より大変かもしれませんね。

原監督の成功には、嫁の美浦さんの支えがあったからこそ成り立っていたのですね。

お二人に子供おらず、嫁の美浦さんの年齢は47歳ですのでこの先恐らくお子様はつくられないでしょう。

上記のような色々な理由があって子供がいない選択をされたのかもしれませんが、プライベートのことですので夫婦間で理解されているかと思われます。

子供がいない夫婦も多いですので、原因が何であれご夫婦のことなので周りがとやかく言えるものではありません。

原晋監督と嫁の原美穂はどこに住んでるの?

お2人は2004年から青山学院大学の町田寮に住まれています。

3階建ての建物で、そこには陸上部の選手達も生活されています。

原監督夫婦の部屋の中はこのような感じで結構狭いのですが、原晋監督は狭さには慣れて逆に便利になっていったそうです。

ここで毎日嫁の原美穂さんが食事を作ったり選手の世話をしてくれたおかげで、現在の原晋監督の成功があるのですね。

数々の挫折を乗り越え、2018年も青学が箱根駅伝を4連覇したことで更に原晋監督の株があがりました。

今後も講演会などお忙しい日々を過ごされそうです。

原晋監督の今後のご活躍を願っています。

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