2019年5月1日、31年続いた平成が終わり、令和元年がスタートしました!
この令和という言葉は、万葉集の一節から取られた二文字で、作られています。
新元号、令和の考案者ではないかと言われているのが、国文学者で万葉集の研究もしている中西進さんです。
2019年90歳になる中西進さんの経歴や家族構成、夫人や娘さんについてまとめました!
また、中西進さんを検索すると必ずといっていいほど検索ワードの中に入ってくる“解任”についても詳しく調査しました。
中西進の経歴
国文学者で、日本文学、比較文学、万葉学などについて研究をしており、万葉集研究の第一人者ともいわれる中西進さんは、1929年8月21日生まれです。
東京都出身で、3歳の頃から俳句が趣味だった父の影響で俳句を詠んでいたといいます。
旧制東京都立武蔵中学校を卒業後、広島大学付属高等学校、東京大学へと進学しました。
東京大学では、文学部国文学科で学び、1953年東京大学を卒業、文学士の称号を取得します。
その後、東京大学大学院に進学し、1955年に修士課程を修了し、1959年には博士課程を修了、30代で「萬葉集の比較文学的研究」を執筆し、1962年に文学博士の学位を取得しました。
また、論文「萬葉集の比較文学的研究」で1963年に第15回読売文学賞を受賞!
その後は、日本古代文学と中国文学の比較研究を始め、国内外の大学で教授、客員教授を務め、国際日本文化研究センター名誉教授なども務めています。
1970年に、第60回日本学士院賞を受賞
2013年には、文化勲章を受章しています。
少年時代は壮絶だった
華々しい経歴の中西進さんですが、少年時代は戦時中で、軍需工場に動員され、部品を作っていたのだそうです。
働いていた工場一帯が空襲を受けて焼け野原になり、凄惨な光景を目にした少年時代の記憶。
忘れることのできない体験が、中西進さんの生き方の原点になっており、2019年現在も探求心を失わず、各地を飛び回り、研究を続けています。
中西進の結婚歴と夫人について
中西進さんには、中西ひろ子さんという夫人(奥様)がいらっしゃいました。
中西進さんと中西ひろ子さん夫妻は、おしどり夫婦として知られており、夫の中西進さんの講演会には、中西ひろ子さんも必ずといっていいほど同行し、後ろの方の席に座り、うなずきながら耳を傾けていたのだそうです。
2011年3月11日にあった東日本大震災の際には、義援金を送ったというエピソードがあります。
東日本大震災にまつわる、忘れられないエピソードがある。夫妻は震災後、被災した大学に役立ててもらおうと、知り合いの教授に直接、義援金を送ろうと決めた。「そうね、義援金を送るなら年収の半分ぐらい送らないといけないわね」とひろ子さん。「え?それは多すぎるのでは? 3分の1か、4分の1ぐらいでどうだろう」という中西さんに、「分かったわ」とだけ答えたという。
後日、中西さんが「義援金、どうなった?」と尋ねると、「ええ、ちゃんと振り込んだわよ」と答えるのみで額は言わない。「いやあ、本当に年収の半分を送ったんだと思いますよ」と中西さんは笑いながら話してくれた。ちなみに義援金を受け取った大学では、被災した学生などのためにお金を使い、それでも余ったので、自治体に寄付したそうだ。
中西ひろ子さんの想いの強さと実行力がうかがえるエピソードですよね。
そんな中西ひろ子さんですが、2011年9月19日に65歳という若さで亡くなられています。
持病の肝臓病が悪化したことが原因だったのだそうです。
中西ひろ子さんが亡くなられた後、中西進さんは年下の方と再婚されています。
また、中西ひろ子さんと結婚される前にも一度結婚していたそうなので、中西進さんは結婚を3回経験されていたんですね!
中西進の娘(子供)は何人?
中西進さんには、1回目の奥様との間に4人の娘さんがいるそうです!
再婚後のお子さんについては、わかりませんでした。
この4人のお子さんのうち、娘さんの1人はアイルランドの大学に留学し、医学を学んでいたそうです。
中西進は娘をなくしていた
中西進さんは、4人のお子さんのうちの1人、娘さんをキューバダイビングの事故で亡くしています。
それは、奥様の中西ひろ子さんがなくなるちょうど12年前のことでした。
中西ひろ子さんがなくなった2011年9月19日は、娘さんの十三回忌の命日だったのだそうです。
中西進の解任は誤解
中西進さんの名前を検索すると、検索ワードの中に“解任”というキーワードが表示されます。
中西進さんに解任されるような何かがあったのでしょうか?
調べてみると、中西進さんの解任は誤解で、中西進さんとは全く関係ないことがわかりました!
どうやら、日産自動車の会長を2018年11月解任されたカルロスゴーンさんが再逮捕された2019年4月に、新元号の発表があったため、一緒になって検索ワードに出てきてしまっていたようです。
これで誤解は解けました。いい迷惑ですね(笑)
中西進が新元号令和の考案者?
2019年8月5日、政府が4月に新元号を決めた際に、有識者懇談会などへ示した最終候補6案の考案者と出典の全容を明らかにしました。
結論からいうと、令和の考案者は、中西進さんでした!!
令和が万葉集から取られたものだということは、明らかにされていましたが、考案者については次の元号が決まるまで発表しない方針だとされていたのですが、この度突然発表されたようです。
ただ、新元号を決める有識者の中に万葉集の研究を積極的に行っている中西進さんがいたので、令和の考案者は中西進さんだと新元号が発表されて間もないころから報じられていました。
しかし、この件に関して中西進さんは明確な回答を控えて、
「元号は中西進という世俗の人間がきめるようなものではなく、天の声で決めるもの。考案者なんているはずがない。」
とコメントしています。
それなのに、ここにきて政府が令和と共に新元号の候補になっていた6案の考案者と出典を発表したのです!
今まで明言を避けてきたのに、なぜこのタイミングでの発表になったのかも気になってしまいますね。
まとめ
令和の考案者、中西進さんは国文学者として数々の功績を残しており、国内外の大学で教授を務めた経験もある万葉集研究の第一人者です!
しかし、少年時代に戦争を経験しており、その忘れることのできない経験が、89歳になった今でも探求心を失わず、各地を飛び回り、研究を続ける原動力になっていたんですね!
プライベートでは、3回の結婚を経験されており、お子さんもいることがわかりました。
奥様と娘さんの1人との死別も経験されていて、波乱万丈な89年だったのでしょうね。